芸能人を見たらスマホを向ける人たちについて──思考停止していないか?

彼がテレビをよく見るので、私も一緒に見ることが多いのですが、見ていると色々と疑問が浮かぶことがあります。
例えば、芸能人を街で見かけた瞬間、周りの人たちが一斉にスマホを構える場面。あの光景、なんかモヤモヤしませんか。
ずっとそう感じていたので、今回は言語化してみます。


無言でスマホを構える群衆の光景

例えば、出川さんのバイク旅。彼がよく見ている番組のひとつで、私もよく一緒に見ています。出川さん自体は好きなのですが、見ていて毎回、妙な気持ちになる場面があります。
街中で出川さんを見かけた瞬間、人々はスマホを構え、ただ撮影し続ける。「撮るためにそこにいる」という状態です。
一方で、スマホを手に持たずに純粋に笑顔で手を振っている人たちには、素直に好感が持てます。

なぜそんな目で見るようになったのか。私自身の話

子どもの頃、有名人になることを強く夢見ていました。歌手や女優になれたら、みんなを見返せるかもしれない。そんな気持ちが、当時の心の頼りでした。
そうした日々の中で、高校生のころにある考えに辿り着きました。
「有名人も同じ人間だ」ということ。
昨日まで無名だった人が、今日有名になった途端に特別扱いされる。同じ人間なのに、周りってそんなに単純なんだと。群がる人たちが滑稽に見え始めたのは、そのころからです。

20代半ばでは、歌手を目指して実際に上京してチャレンジしたこともあります。1年やってダメだったらやめると決めて、結果やめました。
だから負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、今は本当に有名人への憧れはありません。チャレンジしてみたからこそ、すっきり手放せた部分があります。


「撮る」は体験ではない

スマホを向けて撮影し続ける行動の背景には、何があるのでしょうか。

・知り合いに見せたいのかもしれない。でも見せられた側は、テレビで見るのと大差ない。
・思い出に残したいのかもしれない。でも保存した動画をあとで見返すことはほとんどないはず。
・「一応撮っておかないと後悔しそう」という気持ちもわかる。でも、目の前の一瞬を肉眼で楽しむことに重きを置けるようになると、何かが変わってくる気がします。

撮ったことで満足、終了、見返さない。それでも「体験した」と思い込んでしまう。記録した気になっているだけで、体験は素通りしている気がします。



有名人も、ただの人間だと思っている

大阪へ出て、その後東京へ。都会で暮らすうちに、有名人をたまたま見かけても、気づかないふりをして普通にいるようになりました。
身近に有名な方がいたこともありましたし、友人にはレースクイーンになった子もいます。でもその子はその子だし、みんな普通の人間です。だから私の中では、有名かどうかはあまり関係ない。
もちろん、有名な方々が物凄い努力をされていたり、お仕事への姿勢には心から敬意を払います。その話とはまた別で、有名であることと、その人の人間としての価値は別物だと思っているということです。

まとめ

芸能人を見た瞬間に無意識にスマホを向ける行動が「妙だな」と感じるのは、「撮ること」と「体験すること」は別物だと思っているためです。
もちろん、撮りたければ撮ればいい。ただ、「なぜ撮るのか」を一度でも自分に問いかけたことがあるかどうかで、その行動の意味は変わってくるのではないでしょうか。
スマホ撮影に限らず、日常のあらゆる「なんとなくやっていること」に通じる話だと感じています。

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