妊娠体験談②|2度目の稽留流産と、「不育症」の診断。向き合った私の記録。





この記事では、私の2度目の妊娠と流産の体験をまとめています。
初めての流産の経緯や気持ちの変化については、
【私の妊娠記録①】2回連続流産を経て。はじめての妊娠と、1度目の流産。
で詳しく書いていますので、合わせて読んでいただけると流れがつかみやすいと思います。

悲しみを乗り越えるまで

1度目の流産を経験したとき、悲しみや後悔の気持ちから解放されるまでに、私の場合はおよそ一週間ほどでした。

これを「早い」と感じるか「遅い」と感じるかは、人それぞれだと思います。

ただ、ネットで見た多くの体験談では、立ち直るまでに数か月、半年以上かかったという声もありました。

それと比べると、私の立ち直り期間は比較的短いほうかもしれません。

けれど、だからといって流れてしまった子を忘れたわけではありません。

今でも毎日のように、あの子のことを思い出しています。




では、なぜ私は早く悲しみや後悔の念から抜け出せたのか。

それは――「流産とはどういうことなのか」を、自分なりに理解して落とし込めたからだと思っています。

よく「赤ちゃんは忘れ物を取りにお空へ帰ったんだよ」と聞きます。
正直、今となってはそれは綺麗事だと思います。

ただ、流産してすぐの私には、その言葉が大きな支えになってくれました。
心の薬には、そういった世界も必要なんだと思います。

なにもしていなくても涙があふれる。
気づけばぼんやりしている。
空いた時間にはクラシックを流して、ただ気持ちを落ち着けようとしていました。

そんな日々の中で、少しずつ俯瞰して考えられるようになりました。

「妊娠も流産も、生命である限り地球規模でみれば特別なことではない。」

そう考えた瞬間、ストンと心に落ちたのです。

その経験があったから、2度目の流産のときは数日で気持ちを持ち直すことができました。
もちろん悲しさや「守ってあげられなくてごめんね」という想いはずっとあります。
でも同時に、「仕方のないことだった」と受け入れることもできたのです。

流産をどう捉えるか――自分なりの解釈を持てたことで、私はとても楽になれました。

もちろん流れた子のことは忘れません。
悲しみを乗り越えるというよりは、それと共に生きる、という感覚のほうが近い気がします。

2度目の流産

心拍が確認できた!

前回の流産(8月1日)からは、生理も27〜28日周期で安定してきていました。

そんな中、11月下旬。
「もしかして妊娠したかも?」

生理が遅れている。
でも普段から体を動かすのが好きだった私は、特に気にせず坂道ウォーキングを続けていました。

生理予定日から10日ほど過ぎた頃から、お腹にチクチクとした痛みを感じ始めます。
さらに数日後には強い眠気や胸の張りも出てきました。

「やっぱり妊娠してるのかな?」

期待と不安を抱えながら産婦人科へ行ったところ――

胎嚢の中で、3ミリほどに成長した赤ちゃんの姿を確認できました。
心拍も、弱いながら確かにありました。

「嬉しい…!」

その翌日には、つわりのような気持ち悪さも出てきて、妊娠を改めて実感。
「またきてくれたの」と喜びを感じていました。

しかし――診察からわずか3日後。
茶おりが出てしまったのです。
ゾッとしました。
しかも少量ではなく、どろっとしたもの。
前回の流産のときの記憶がよみがえり、一気に胸がざわつきました。

「まさか、また…?」

続く茶おり

翌日も朝から茶おりがどろっと出て、トイレに行くのが怖かったです。
昼も夜も続くので、気持ちはどんどん沈んでいきました。

病院で妊娠がわかったのが12/9で、茶おり開始は12/12から。
12/14は、ドボっと何度も茶おりが出るようになりました。

どんどん進行していく様子に、絶望しました。

そして、その日の深夜は、またあの鈍い腹痛が始まりまったのです。

「きた・・・」
「前のパターンと一緒だ・・・」

こうして私は流産を覚悟しました。

胎嚢が出てきた!奇跡の瞬間

12月15日午前10:30頃。

そのタイミングはまるで奇跡のようで、ナプキンを変えた直後に台所で立って作業をしていたとき、股間からドボッと何かが出る感触があったのです。

確認すると、そこには丸くぷるぷるとした胎嚢がありました。
流産の体験談を調べていた時、胎嚢を手に取るエピソードを見たことを思い出し、私もそっと手に取り抱いてあげました。

そして、その中には赤ちゃんがいました。
ちゃんと人型をしていて、大きな頭に両手を胸の前で縮こまらせ、足はまだなく尻尾のような状態
イラストで見るような形そのものでした。

前回の診察時には3ミリほどだった赤ちゃんは、この時には5ミリほどに成長していて、とても愛おしく感じました。
「頑張ってくれてたんだね。守ってあげられなくてごめんね」と、涙があふれて止みませんでした。

それに、悲しさと同時に温かい気持ちにもなりました。
なぜかというと、ナプキンを変えた時にトイレに流れてしまわず、その直後に新しいナプキンの上に出てきてくれ、無事に手に取ることができたからです。
今思えば奇跡のようなものに感じます。

前回同様、彼と一緒にいる時に赤ちゃんは出てきてくれました
今回はリアルタイムで彼もいたので「赤ちゃん出てきた」と彼を呼ぶことができ、一緒に見てもらえました。
このタイミングに赤ちゃんの意志のようなものさえ感じ、改めて愛おしい気持ちと切なさでいっぱいになりました。
目から涙が溢れて溢れて止まりませんでした。




今回はなぜ流産となったのか?

妊娠初期での流産は基本的には母体の問題ではないとは言いますが、だからと言って100%そうだとは思えません。
私は今回はかなり慎重に過ごしていました。
真冬の寒い時期だったので、こたつに入って安静にばかりしていました。
しかし、流産となってしまいました。

この時に考えたのは、「こたつの熱で赤ちゃんが茹で上がってしまったのではないか・・・?」と、前日に焼きそばを食べたから、「塩分が影響してしまったのではないか?」などと考えました。
何でもかんでも結びつけてしまいます。

流産への慣れと、不育症という診断

喜ばしいことではありませんが、流産のパターンを覚えてしまったようで、今回は慌てることなく、終始スムーズに対処できたと思います。
「数日後には腹痛がきて、翌日には出てくる」と、ある程度予測もできるようになったのです。

流産は小さな出産。

胎嚢ごとナプキンに包みジップロックに入れ、病院へ持って行きました。

先生に、こたつや焼きそばのことをと伝えたところ、「それはありませんよ」と即答してくださいました。

やはり真実はわかりませんけれど、冷静になれました。

そして私は今回で、「不育症」と診断されたのです。
しかし、そう診断されたものの私は正直、なんとも思いませんでした。
それについての詳細はこちら→不育症と診断されたけど、妊娠できました。そんな私の普段からの取り組み

希望を忘れない

執着しすぎるのは良くないと思いますが、諦めずに前向きな気持ちで妊活を続けることは大切だと思っています。
「なるようになる、それでダメなら仕方がない」という感覚で取り組むのも心の安定につながります。

よく「諦めたら叶った」と言いますよね。
私も過去に、そのように思い当たる節が別件でいくつもありました。

だから、できる時はできる、ダメな時はダメ、と割り切りつつ、完全に諦めるのではなく、いつかまた赤ちゃんが来てくれたらいいなと気楽に過ごすことにしました。

でもできることはやりたい。
私にできることは、卵の質を上げること、精子の質を上げること。
高齢妊娠になるので、若い人たちと同じようにしていても難しいと考えているからです。

そのため、自分が無理なく納得できる範囲で、食事やストレス管理を徹底しました。
お菓子も完全に辞め、トランス脂肪酸を控え、鉄分・葉酸・タンパク質を意識して摂るように心がけました。詳細はこちらをご覧ください→高齢と言われても授かるために。40歳夫婦の“若返り”生活

そして大変ありがたいことに、2度目の流産後に1度の生理を見送った後、私は再び妊娠しました。初期で出血が続きましたが、それも含めて書いているので、ご興味があれば引き続きお進みくださいね。

続きはこちら:
【私の妊娠記録③】2回の流産のあと、3度目の妊娠が継続しています。



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