「地元に帰るか、東京に残るか。」
夜中にスマホでそう検索しているあなたは今、答えの出ない堂々巡りの中にいるんじゃないでしょうか。
私は、20代半ばに差し掛かった頃、人生に悔いのないようにと上京して——28歳を過ぎた頃から3年間、まさにそれで迷い続けました。
先に結論を言うと——私は地元に帰りました。そして、後悔していません。むしろ「正解だった」と思っています。
帰るべきか、都会に残るべきか。どっちが正解なのか、どっちが幸せになれるのか。——迷っているあなたに、3年迷った私が何に引っかかっていたのか、どうやって決心できたのか、そして帰ってみて実際どうだったのかを、正直に書いていきます。
ひとつの経験談として、あなたの決断の参考に、少しでもなれたら幸いです。
時間だけが過ぎていた。周りに人はたくさんいても、私は一人だった
私が上京したのは、子どもの頃からの夢だった芸能の世界を、「1年だけ」と期限を決めて本気で目指してみるためでした。
結果から言うと、夢は叶いませんでした。でも、期限を決めてやりきったから、不思議と後悔はなくて。「私の中ではやりきった」と、スッキリ手放せたんです。
問題は、そのあとでした。
実は、夢を目指している最中から、バイト先だった接客の仕事で「社員にならないか」と誘われていました。夢を手放したタイミングで、その誘いを受けて社員に。チーフになり、数店舗を任されるようになり——仕事自体は、楽しくて仕方がなかったんです。だからこそ、人手の足りない店舗の穴埋めにも入り続けて、一番ひどい時は、休みが年に2日。それでも、夢中で走れていました。
歯車が違ってきたのは、ふと我に返ったときです。気がついたら、時間だけが過ぎていた——そして気づけば28歳。「そろそろ結婚しないと、子どもが産めなくなっちゃう」と、急に焦りはじめました。
(ちなみに、先に言ってしまうと——私が結婚したのは40歳、出産は41歳です。後から思えば、28歳なんて全く焦る時期ではない、まだまだ若い年齢なんですけどね。当時は、本気で焦っていました。)
出会いがなかったわけではないんです。でも、忙しすぎて自分の時間がなくて、心に余裕がなくて——恋愛は、長続きしませんでした。
時間だけが過ぎて、年だけをとった。
こんなに頑張ってきたのに——結局私って、一人なんだ。
そう気づいたのが、28歳を過ぎた頃でした。
東京は、無数の人で溢れかえっています。それなのに——こんなに人がいても、私は一人。あの絶望的な孤独は、本当に辛かったです。
それでも3年、悩み続けた——5つの思い込み
「地元に帰ったほうがいいのかな」が頭をよぎるようになってからも、そこから3年、どっちがいいのか悩み続けました。
よく聞きますよね。地方に戻ったほうが、結婚できるのかもしれない——と。ドラマや映画なんかでも、「田舎に帰って、結婚しました」って設定をよく見る気がします。
でも実際、自分も本当にそうなれるかなんて、保証はどこにもない。
そんな迷いの中で、特に引っかかっていたのが、この5つです。
①「私が辞めたら、職場に迷惑がかかる」
人手不足になりやすい仕事だったので、私が辞めたら、職場に迷惑がかかる。それも、辞められない理由のひとつでした。
でも、あるとき、ふと思ったんです。仕事を優先しても、会社が私の人生に責任を取ってくれるわけじゃない、と。
誰かに言われたわけではありません。日々、一生懸命立ち向かって過ごしていた中で、自然と降りてきた言葉でした。
②「地元は閉ざされている」
当時の私には、地元が、狭くて閉鎖的な場所に見えていました。みんながみんなを知っている、あの独特の感じ。都会の気楽さに慣れると、余計にそう見えるんですよね。
③「田舎で独身は、馬鹿にされそう」
独身のまま田舎に帰ったら、周りに、なんて後ろ指をさされるか。きっと馬鹿にされるんだろうな——そんな想像もありました。これも立派な、足止めの理由でしたね。
④「田舎に、いい人なんて残ってない」
正直、これは大きかったです。いい人はみんな都会に出ているか、とっくに結婚しているでしょ、と本気で思っていました。
⑤「帰っても結婚できなかったら、意味がない」
もともと、地元に帰るつもりなんてありませんでした。東京で、このまま暮らしていくものだと思っていたんです。
でも、迷い出したことで、「帰る」という選択肢が生まれてしまった。そうなると、考えてしまうんですよね。人も出会いも多いのは、東京。じゃあ、帰った先で結婚できなかったら?——帰る意味が、ない。
考えてもわからないことを、ぐるぐると考え続けていました。仕事を辞めるタイミングも、何度か逃しました。実際、あの仕事を辞めて自由になって、次の職場で出会って結婚していった元同僚も、いたのに。
今思えば、全部「思い込み」だったんですけどね。どれが一番の足止めだったかは、正直、もう思い出せません。それくらい、全部が絡まり合って、私を東京に縛りつけていたんだと思います。
付き合っては、振られるの連続
それと正直なところ、彼氏ができるたびに「帰る」が延期されていた、というのもあります。うまくいけば、このまま東京で結婚できるかもしれない、って。
ありがたいことに、出会いは結構あったんです。でも、付き合ってもどれも数週間で破局。しかも、相手から来てくれたのに、振られて終わる。そのたびに、心が折れそうでした。というか折れていたかもしれません。私の存在自体が、全否定されているように感じて、本当に辛かったです。
それでもまた出会いがあれば、「今度こそは」。結果は、また打ちのめされて終わり。
そのうち、全部を仕事のせいにするようになりました。忙しすぎて、自分の時間がなさすぎて、感覚がおかしくなっている。本来の自分が、わからなくなっている。結婚したい焦りが伝わってしまうのも、会話が下手なのも、デートの時間すら仕事に振り回されるのも——「この働き方のせいだ」って。……そんな毎日でした。
一人でいる寂しさと、二人でいる寂しさ。——辛いのは、二人でいるときの寂しさのほうでした。
本気で地元に帰ろうと思ったきっかけ
決心できたきっかけは、心身が先に限界を迎えたことでした。
崩壊していた心
31歳か32歳あたりだった頃、私はかなり疲弊していました。
朝起きた瞬間から眩暈。視界がぐらつく中で仕事に向かう。帰宅すると、激しい寂しさに襲われて、毎晩のように大泣きする。まるで、鳩尾あたりに1トンのおもりがぶら下げられている感じ。だから、笑顔を作ろうにも、顔の筋肉を動かすことさえ重くてできない。外で人を目にするだけでも疲労感。しまいには仕事中にも涙が止まらなくなって、バックヤードで1時間泣いていたこともありました。ただ忙しいだけで特に何もない日常のはずなのに、常に心が絶望感に支配されていたのです。
病院には行っていないけれど、今思えば、あれはうつ状態だったのだと思います。
※当時の私は病院に行きませんでしたが、もし今のあなたが同じような状態なら、専門の窓口や病院に頼ることも、どうか選択肢に入れてくださいね。
「このままだと、危ないかもしれない」
そう感じたとき、ふと思ったんです。
「せっかく両親が健在で、頼れる場所があるなら、頼らせてもらってもいいのかもしれない。これまで一人で、十分頑張ってきたじゃないか」って。
「ずっと」ではなく、「一旦」
そして、決心を後押ししてくれたのが、この言い換えでした。
「これからずっと田舎で生きていく」と思うから、決められない。
そうじゃなくて、「一旦、帰る」。一旦帰ってみて、それからのことは、またその時に考えればいい。
そう言い換えた瞬間、3年動けなかった決心が、すっと固まりました。
あとこれは、その時にふと俯瞰して思えた悟りですが——東京に住んでいいのは、もともと東京が地元の人か、東京で叶えたい夢がある人なんだろうな、って。
「ずっと」を「一旦」に変えるだけ。もし今あなたが動けずにいるなら、この言い換え、ぜひ試してみてほしいです。帰る決断だけじゃなく、残る決断でも。「一旦残って、来年また考える」でもいいんですから。
帰ってみたら、意外と良かった
帰ってすぐの私は、なーんにもしませんでした。というより、「しばらくは期限を決めずに、何もしない」と決めていたんです。ただただ、心の療養。
一番の驚きは、「親が近くにいる」安心感
両親は、根掘り葉掘り聞いてくるようなことはせず、ただ私を受け入れてくれました。それが、どれだけありがたかったか。
そして、帰ってみて一番驚いたのが、これです。
親が近くにいるって、心の安心感が全然違う。
同居じゃなくてもいいんです。「何かあったら頼れる肉親が、近くにいる」——それだけで、生きてる感覚が全然違いました。
誤解のないように言うと、東京にも、友達はもちろんいました。でも、あの底なしの寂しさは、友達で埋まる種類のものではなくて。私が欲しかったのは、結婚して家庭を築くパートナー。そして「肉親がそばにいる」という安心は、それともまた別の、特別なものでした。
東京で感じていた寂しさが、じわじわ薄れていったんです。
面白いもので、2週間もしないうちに「バイトでもしてみようかな」という気持ちが自然と湧いてきて。近所のコンビニで働きはじめて、そこからまた、私の環境は大きく変わっていくことになります。
「閉ざされた田舎」は、違って見えた
ひとつ、面白い心理の話を。帰ってきた当初の私は、「こっちに戻ってくるつもりはなかったんですけど」と、前置きをして話していました。
実際、その通りではあるんです。事情が重なっての帰郷で、都会の生活自体は好きだったから、嘘でも言い訳でもない。でも、わざわざ前置きしてしまうのは——東京の前に住んでいた大阪で、地元に帰っていく子たちを「都会に馴染めなかったんだね」と、どこか“負け”のように見ていた側だったから。今度は自分が、そう見られたくない。そういう心理が働くと、自然と出てくる言葉なんですよね。今でも同じ前置きをする人を見かけると、「ああ、わかる」と、ちょっと面白かったりします。
そして、その「帰る=負けっぽい」という目線ごと——実際に暮らしてみると、変わりました。あの頃、東京から見えていた「閉ざされた田舎」と、帰ってから見えた地元は、違って見えたんです。
思えば、都会は「人とビルが多いだけ」。地方は「人が少なくて、ビルが低いだけ」。私が勝手に抱いていた印象とは、違ったんです。田舎でも、自分次第でスタイリッシュに暮らせます。都会ほどアンテナの高い人は少ないかもしれないけれど、よく考えたら、アンテナの高さは人の魅力とは関係ないんですよね。
時間の流れが違う、別世界だった
それに、東京では常に、戦闘心のようなものを構えていた気がします。帰省から東京へ戻る電車の中で、近づくにつれて、心が構えていく——あの感覚を、今でも思い出します。
その点、地元は時間の流れが違いすぎて、別世界に来たかのようでした。田んぼには鷺がいて、川には鴨がいる。疲れきっていた私の心には、良い薬だったと思います。
ひとつ、カルチャーショックもありました。道を歩いていたら、知り合いが車で通りすがりに、声をかけてきたんです。都会では「周りは知らない人」が当たり前だったから、ビックリしました(笑)
「帰った子も、結局また戻ってきてるよ」という話
チーフの仕事を辞めることを決めた頃、少しでもお金を貯めようと、新宿のお寿司屋さんで掛け持ちのアルバイトを始めました。そこの人に、こう言われたんです。
「地方に戻った子は、結局また東京に戻ってきてるよ」——その人の周りでは、帰った子のほとんどが、また東京に戻ってきているのだそうです。
これ、脅しのようで、むしろ参考になりました。帰ってみて、違ったら、また戻ることもできるんだ、って。「一旦、帰る」の背中を、押してくれる話でもあったんです。
そして実際に地方で暮らしてみると、戻る人の気持ちも、わかります。地方と都会では、風潮が確かに違う。普段の会話の内容も、違ってくる。私も帰ってきてしばらくは、地方の価値観にイライラすることがありました。実家を出たことがない、外を知らないのに、偉そうなことばかり言う人だっています。だから、「全てがキラキラ」とは言えません。
でも——そういう人とは、関わらなければいいんです。関わる人は、自分で選べる。それに、都会にだって同じような人はいますしね。
そして私は、戻りませんでした。
後ろ指どころか、寄り添ってくれる人がいた
心配していた「後ろ指」も、ありませんでした。実際に帰ってみると、同じような年齢でも独身の人はいたし、たまたま環境が良かったのか、嫌なことを言ってくる人もいなくて。むしろ、寄り添ってくれる人がいました。
特に印象的だったのが、コンビニでバイトしていた頃の仲間の、年上のママさんが「もうすぐですよ」と、前向きな言葉をかけてくれたこと。京都出身で、旦那さんのお仕事の都合でこちらに移住してきた方でした。
嬉しかったし、そういう声の掛け方ができる、素敵な女性だなと思いました。私もその言葉を参考にさせてもらって、同じような人に出会ったら、今度は私が言ってあげよう、って。
それに、地方でも思いのほか「県外から来た人」がいて、どこか仲間意識があって。それも、嬉しかったですね。
「田舎にいい人いない」は思い込みだった
結論、思い込みでした。
帰ってみたら、出会いの目は普通にあったんです。バイト先で生まれた縁もあったし、街コンだって開催されている。仕事をしながら、なんとか時間を作って婚活を続けました。
そして、その街コンで出会ったのが、今の夫です。
……と、サラッと書きましたが、実はここからすんなり結婚できたわけではなく、一度お断りされたり、友人に戻ったり、随分いろいろありました。その紆余曲折はそれだけで一本の記事になるので、また改めて書きますね。
ともかく——「田舎にいい人なんて残ってない」と3年信じ込んでいた私は、32歳で地元に戻ってきて、帰ったからこそ、夫と出会いました。そして40歳で自然妊娠し、41歳で母になりました。
時間は、かかりました。でも今、私はとても幸せです。充実しているし、満たされています。
そして、今ならわかります。相手を見つけられるかどうかは、場所ではなく、自分次第。都会だから出会える、田舎だから出会えない、ではなかったんです。
私のその後の話は、こちらに書いています。
・40歳で自然妊娠できた体験談|不妊治療なし、食事とタイミング法だけで授かった話
・41歳・初産|帝王切開で出産した全記録【体験談まとめ】
まとめ|選んだ道を、自分で正解にしていくしかない
地元に帰るか、東京に残るか。
3年迷った私の答えは、「どっちが正解かは、事前にはわからない。だから、選んだ道を、自分で正解にしていくしかない」です。
私の場合は、帰った道を正解にできました。でもそれは「田舎が正解」という意味ではありません。あのままの状態で東京に残っていたら危なかった——私にとっては、というだけの話。東京で花開く人も、もちろんいます。
都会が合わなかったわけでも、ないんです。もしあの頃、隣にパートナーがいたら、私は普通に東京に残っていたと思います。ダメだったのは、休みのない働き方と、焦りで心がすり減っていた「あの状態」のほうでした。
ただ、これだけは伝えたいです。
あなたが今見ている「田舎」は、あの頃の私が見ていた田舎と同じで、思い込みでできているかもしれません。あの時見えていた田舎と、実際に帰ってから見えた地元は、本当に違って見えたから。
そして、決められない時は、「ずっと」を「一旦」に言い換えてみてください。
一旦帰って、違ったらまた考えればいい。一旦残って、来年また考えたっていい。人生は、一回で決めなくていいんです。
この記事を書いている今、私は地元で、夫と娘と幸せに暮らしています。
あなたの迷いが、少しでも軽くなりますように。
