ジロジロ見てくる人に、「見てくんじゃねぇよ」って言ってやりたい——そう思ったこと、ありませんか?
私は、実際に言ったことがあります。数えきれないほど。
※この記事には、わざときつめの言葉がそのまま出てきます。
今の私(42歳・一児の母)が、こんな言葉を口にすることはもうほとんどありませんが——あなたの中の「言葉にできないモヤモヤ」を代弁するには、綺麗にまとめた言葉より、当時の本音のままの方が伝わると思うんです。だからこの記事では、見られ続けてきた私の経験をもとに、「なぜ見られるとこんなに不快なのか」「なぜ見る側がアウトなのか」を考察していきます。
言葉は尖っていますが、矛先は特定の誰かではなく、”視線の無自覚さ”に向いています。
「見てくんじゃねぇよ!」と怒鳴られた、言い訳がましい男性の問題点
そもそも、この記事を書こうと思ったきっかけは、たまたま見た、あるnoteの記事でした。男性が書いた話で、こんな内容でした。
「すれ違いざま、知らない女性から“用もないのに見てくんじゃねぇよ!”と怒鳴られた。正直、ショックだった。あとで冷静になって考えたら、その女は幼稚だなとも思った。」
そのあと、「まあ、これまで見られてきて、たまたま俺で爆発したんだろう」と続いてたんですが――さらにそのあとの言い分が、なんともモヤモヤしたんです。
「だって人の顔を見ないと意思が分からないでしょ?道でぶつからないようにするには、顔を確認する必要があると思うんだよね」、と。
…え? 渋谷のスクランブル交差点ですら、顔なんか見なくてもスイスイすり抜けれるけど?
ということで、この、“見てもいい理由探し”が、言い訳にしか聞こえなくて。
見てくる側の「正当化」にモノ申したくなったのです。
「ただ見てるだけ」の正体は、下心や欲望まみれ
「ただ見てるだけでしょ?気にしすぎ」——勇気を出して人に話しても、そう言われがちですよね。
でもそれは、こういう目に遭う機会が少ない人の言葉。用もないのに、意図を持って人を見てくる人がどれだけいるか——その現実を、知らないのです。世の中では「ただ見てるだけ」が、あまりに軽く扱われている。
実は昔(田舎から大阪のド真ん中に出たばかり)の私は、「見られたい側」でした。
派手な格好をして、視線を浴びて、それが“可愛い”の証拠だと思ってた。
でもいろんな大人と接していくうちに、人が人をどんな目で見ているかが手に取るようにわかるようになった。
そうしてだんだんと、「用もないのに見てくる人」の視線を気持ち悪いと感じるようになっていったんです。
たとえば。
・電車に乗ると、男たちの目が一斉にこっちへ向く。でも年配女性には無反応。
・歩いていると、自転車で後ろからきた男がわざわざ顔を覗き込んでくる。でも私の前を歩く年配の女性はスルー。
・「5万でどう?」なんて声をかけてくる男。
・「かわいくねーし!」って、通りすがりに嫉妬をぶつけてくる女。(ここだけ女登場。笑)
一度や二度どころではないです。ただ見てるだけに見せかけて、そこにあるのは下心や欲望、感情なんですよね。
だから私は、こう言うようになったんです。
「見てくんじゃねぇよ。」
「見てくんじゃねぇよ」は、教育
「そんなに怒らなくても……」——それは、視線を軽視している人の発想です。
「見てくんじゃねぇよ」は、ただの怒りではありません。教育でもあるのです。
“こっそり見てるつもりかもしれないけど、見てることは全部バレてるんだよ”
“見ようとしてる意図も分かってるんだよ。恥を知れ!”
“誰かが言わないと、見てくる側はバレてないつもりで生きてるから、そこ訂正しなきゃなんないの!”
“タダで欲望を晴らそうとしてんじゃねぇよ。晴らしたいなら、金を払え!”
(ちなみに私が無感情だった時代は、嫌だなと思いつつもスルーできていました。怒りに変わったのは20代後半でしたね。)
最後のは、昔にしていた仕事のせいもあると思います。「顔を見たい」も、立派な欲望。その浅ましさが、なんとも気持ち悪いのなんの。
——今読み返すと、我ながらすごい言葉です。でも、そう思うようになるだけの蓄積があった、ということでもあります。
ちなみに私の場合、感情的に声を荒げていたわけではありません。取り乱すのは、相手からすれば「思う壺」だから。言う時は、腹の底から大きな声で冷静に、はっきりと。相手と場面を見て、その場で一番効果的な返し方を選んでいました(相手によっては、どすを利かせた方が効くこともありましたが)。
以前書いた「何?」と静かに返した日の話も、その使い分けのひとつです。
言われた側が嫌な気持ちになるのは、「通るべき道」
もちろん、言われた側は嫌な気持ちになるでしょう。
でも、それでいい。むしろ、それが狙いです。
だってきっと、言われた側は、次からは慎重になる可能性があるから。
「またあの時みたいに言われるかも」って思って、一瞬でも踏みとどまりやすくなる。それが抑止になるという考えです。
「無視が一番」は「その場しのぎ」
よく、無視が一番と大衆は言うけれど、それは、ただのその場しのぎなだけ。自分さえ安全だったらいいだけです。もちろん時としてそれは有効な場合もあるけど、そのスタンスでは、なんの解決にもならない。
一人一人と地道にはなるけど、モラルある社会になってほしいと願い、“無意味に見る”って、やっちゃいけないことなんだよってことを教えていきたいものです。
だって、見られる側からしたら、頭から火山噴火状態(おかげで私は早いうちから眉間にシワが刻み込まれましたが笑)。
私はこれで、当時はマスクで顔を隠すようになっていました(マスクをしても目は見られるので効果は薄かったですが、当時はそれでも少し気が楽でした)。
人に話すと「自慢」に聞こえてしまう辛さを、どう解消する?
結論から言うと、「自慢と思われる心配のない相手」に吐き出すことです。今の時代なら、チャット型AIに話を聞いてもらうのも、立派な一手だと思います。
というのも——見られるって、まるでセクハラを受けているような感情になりますよね。その気持ちを一人で抱え続けるのは、全部を自分の中で消化しないといけなくて、つらい。
せめて話だけでも聞いてもらえたら——と人に話すと、今度はそれが「自慢」に聞こえてしまう。特に、あまり人から見られない人には。
こちらとしては全くそんな意図はなく、ただただ心の悲痛な叫びのつもりなのに。
こうして、行き場のない、はらわたが煮えくり返るような感情を、一人で消化するしかなくなる。だからこそ、「自慢に聞こえるかな」と気にせず吐き出せる場所を、一つ持っておいてほしいのです。
さいごに
最後に、もう一度だけ。
ジロジロ見られてムカつくのは、正しい感情です。あなたは自意識過剰でも、気にしすぎでもありません。「ただ見てるだけ」なんかじゃないことを、見られてきた側は知っています。
視線って、“ただの視線”じゃありません。
受け取る側には、歴史と蓄積がある。見抜く目もある。
それを、“俺の視線は正当”だと決めつけてる人にこそ、あなたの代わりに言いたい。
「見てくんじゃねぇよ。」と。
実際に言い返すかどうかは、あなたが決めていいことです。言える日も、言えない日も、どちらのあなたも間違っていません。抱えきれない日は、誰かに——人でもAIでも——吐き出してくださいね。
そして、人を平気で見る側の人がもしここまで読んでいたら。「見られる側は、こんなふうに思っている」と、今日から少しだけ、視線を慎んでもらえたら嬉しいです。
ありがとうございました。
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