ジロジロ見てくる人に、一言くらい言い返せたら——そう思ったこと、ありませんか?
私には、実際に「返していた時期」があります。「何?」の一言で。それは、攻撃するためではなく——気づかせるために。(今は、返さないことの方が多いのですけどね。相手と場面によります)
返してきた相手は、一人や二人ではありません。男性にも女性にも、若い子にも、おじいさんにだって(笑)——老若男女に返してきました。
今回お話しするのは、相手がまだ若い男の子だったときの話です。なぜ若い子にまで返すのか——若いうちの「気づき」は、その後の人生にずっと身につくと、知っているからです。子どもの頃の私が、まさにそうでした(その話も、後ほど出てきます)。
「なんて返せばいいの?」のヒントになるよう、理由も込みでお話しします。
若い男の子に返した事例
コンビニを出て、自転車の鍵を開けていた時のことです。
ふと、視界の端に気配を感じました。
2メートルほど向こうに、中学生か高校生くらいの男子2人組。そのうちの1人が、どうも私を見ている気がします。
鍵を開けながらも、顔の角度や空気の感じで、「ああ、これはこっちを見てるな」とわかりました。
気づかないフリをしようかとも思いました。でも、ひしひしと伝わってくる視線に、「いや、これは無視じゃ済まんぞ」と思い直したのです。
一体、いつまで見ているつもりだろう。
もし自分の勘違いなら、それはそれでいいから、確認だけはしておこう。
相手が子どもでも、そこは同じです。
そこで私は、顔は動かさず、視線だけをバッとそちらに送りました。
なぜ「視線だけ」かというと、普通に顔ごと見ようとすると、相手にこちらの動きが伝わって、先に目を逸らす余地を与えてしまうからです。
逃がさないために。
確かめるために。
バッと見ました。
男の子から見てきたのに、「なんですか?」と言われた
案の定、男の子は私の顔を見ていました。
ビシッと目が合ったのです。残念ながら、疑いようがありません。
その瞬間に男の子も、たまたま私を見た、という動きもありませんでしたから。
そして私と目が合うと、男の子の表情が一瞬動きました。
私は目を逸らしません。男の子も逸らしません。
見つめ合ったまま、5秒ほど経ったでしょうか(これが長く感じる…)。
すると、その子が一言。
「…なんですか?」と。
え?いや、何って。そっちが先に見てたよね?
だから私は、淡々と返しました。
「何?」(訳:そっちが先に見てたよね? なんか用でも?)
聞き返した結果
その瞬間、彼の顔に「ハッ」という表情が浮かびました。
そして、スッと視線を下に向けたのです。
ああ、自分が先に見ていたことに、今気づいたんだな、と思いました。その状態で「なんですか?」と言ってしまったことのズレにも。
下を向くのは、後ろめたい時に出る、正直な動きだと思います。
それ以降、彼は一切こちらを見てきませんでした。隣のもう1人が、何やら彼を励ましているのが見えました。
まぁ、そういう空気になりますよね。仕方ない。
見られた側が「見てるよね?」と返すだけで、立場は入れ替わる——まさにその瞬間でした。私がおとなしそうに見えたかどうかは知りませんが、まさか返してくるとは思っていなかったのでしょう。
そして私は、何もなかったかのように、その場を去りました。
こどもにも、教えた方がいい理由
……と、ここまで読んで、「こどもにそんなに目くじら立てる?」と思う人もいるかもしれません。
けれど、そうする理由にはエピソードがあるのです。一度きちんと「気づかせて」もらったおかげで、その後の行動がずっと変わった——私自身の、そんな思い出が。
子どもの頃の学びは、その後の価値観になる
私が小学生の頃、友達とお祭りに行って、屋台の商品をあちこち触っていました。大きなビニールボールです。何度も往復しては、通るたびに手を伸ばして、つついていました。
そんな時、不意に聞こえた、チンピラ口調の声。
「〇〇(私の苗字)〜、これ、商品やぞぉー!」
瞬時にビクッとなりました。声の主は、屋台のお兄さん。私服につけていた名札で、名前がわかったのでしょう。
大声で怒鳴られたわけではありません。でも、どすの利いた声で名前を呼ばれて叱られたその瞬間、子ども心にものすごく怖くて、そして恥ずかしかった。
今思えば、当然です。私のしていたことは、店側からすればとても不快だったはず。何度も繰り返していたなら、なおさらです。きっと初めは我慢していて、タイミングを見て、ようやく言葉にしてくれたのだと思います。
それ以来、私は人様のものを勝手に触らないようになりました。
一度、きちんと向き合ってくれた大人がいたから。
あの時の私は、ちゃんと「受け止めてもらった」のです。
これは商品を触る話で、視線の話ではありません。でも、一度きちんと気づかせてもらえたことは、一生残る。その原体験として、この話を書きました。視線も、きっと同じです。
本当は、親が教えてあげてほしいこと
ここからは少し、「なぜ、見てしまう人が生まれるのか」の話です。こどもの視線、親の教え、そして恥ずかしい過去——3つに分けてお話しします。
教わっていないこどもは、悪気なく見てくる
実はこの事例のほかにも、こどもにじーっと見られたことは、幾度となくあります。
たとえば、スーパー銭湯の脱衣所で。女の子が、周りに他の女性もいるのに、なぜか私の顔だけをじーっと。確認のために見たら、バッチリ目が合いました。……別に私、そんなに面白い顔でもないと思うのですけどね。
そういうとき、心の中でこう思うのです。親が教えないなら、私が教えるかー、と。
「用もないのに見る」「人間観察が好き」——今思えば、恥ずかしい過去
というのも、私自身は親に「人の顔を見てはいけないよ」と、何度も教えられて育ちました。ただ、母の理由は「失礼だから」ではなく、「危ないから」。もし見た相手が心の不安定な人だったら、「何見てんだよ」「俺のこと見て笑っただろ」などと逆上して、襲われるかもしれない。だから、すれ違う人を不用意に見てはいけないし、(たとえ別のことでも)すれ違いざまに笑ってもいけないよ、と。だから、「危ないから」には気をつけていたつもりでした。
でも裏を返せば、「危なくなさそうな人なら、見ていい」ということ。ここで白状すると——「用もないのに見るのは失礼」だとは教わっていなかった子どもの頃の私は、安全そうな人の顔を、見まくる側でした。通り過ぎる瞬間にパッと横を向いて見る、なんて小技まで使って(今思えば、相手には普通に気づかれていたはずです笑)。お祭りでは、すれ違う人の顔を一人でも多く見ようとしていました。何故か、いろんな人の顔を無意識にでも脳にインプットしておきたかったのです。
当時は「人間観察が好き」なんて言ってもいました。今思えば、ずいぶん失礼な話です。だから今でも、テレビで「人間観察が好きなんです」と言っている人を見かけると、内心「うわぁ」となってしまいます。言っていた側だからこそ、当時の自分の未熟さを思い出して、こちらが恥ずかしくなるのです。
そう。私自身、「見る側」だったこともあるのです。そして、その後の人生で「これは失礼なことなんだ」と気づいて、やめました。
「見ない」は、一度身につけば一生もの
その証拠に——母は、今でも意味もなく人を見ません。「危ないから」というより、もう習慣として。本人に聞いたことはありませんが、もし聞いたら「見てると思われたら嫌だから」と返ってきそうです。理由は人それぞれでも、「用もないのに人を見ない」は、一度身につけば一生ものなのだと思います。
だから、見てくる人のことも、「悪人」ではなく「まだ気づいていない人」なのだと思っています。気づけば、変われる。私が変われたように。正直、いい年をした大人が相手だと「まだ気づかないのか」とイライラもしますが——こどもなら、なおさら伸びしろしかありません。
「何?」は攻撃ではなく、「気づかせ」
誰かの行動に「何してるの?」と返すとき、それは攻撃ではなく、「気づかせ」でもあると思うのです。
あの男の子も、あの一言で何かをひとつ、覚えてくれたらいい。私自身も、そうして気づいて、変われたように。
最後に、この記事の本質を。「何?」に必要なのは、強い言葉でも、けんかの覚悟でもありません。見てくる人は「気づかれていない」と思い込んでいるだけ。だから「気づいてますよ」が伝わった瞬間に、立場は入れ替わるのです。
そしてその一言は、あなたを守るだけではなく、相手への「教育」にもなります。あなたの「何?」も、誰かの視線をひとつ、正すかもしれません。
実際に言うかどうかは、あなたの自由です。でも、「いざとなれば返せる」と思えるだけで、心はずいぶんラクになるはず。この実例が、あなたのお守りになれば嬉しいです。
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