「知育玩具って、本当に買わなきゃいけないの?」
実はこれ、最近ふと思ったことではなく、私が元々持っていた疑問です(生後9ヶ月の娘を育てている、41歳の母です)。
最近は「知育玩具」「幼児教育」「早期教育」など、子どもの成長を助けるための商品やサービスがたくさんありますよね。それら自体を否定するつもりはありません。おもちゃや習い事が、子どもの興味を広げたり、親子で楽しい時間を過ごすきっかけになることもあると思います。
ただ、「これを買えば賢くなる」「これをしないと遅れる」という考え方には、少し違和感があるんです。今日は、この元々の疑問と、娘との毎日の中で感じていることを書いてみます。
おもちゃがなくても、想像力で遊びは生まれる
さすがに0歳や1歳の頃のことは覚えていませんが(実はひとつだけ、うっすら心当たりのある光景があります)、記憶にある子ども時代の私は、身近なもので想像して遊ぶ子でした。
例えば、台風のように風が強い日には、庭に出て、箒で空を飛ぶ練習をしたこともあります。「ひょっとしたら、魔女の宅急便のキキみたいに飛べるかもしれない」と、本気で思っていました。
田んぼの草むらに寝転がって、秘密基地のように過ごしたことも。床を壁に見立てて、壁を登る冒険をしていたつもりになったりも。
ブロックでは、自分の理想の間取りを作って楽しんでいました。おもちゃで遊ぶときも、決まった遊び方をなぞるより、「自分の世界を作る道具」にしていたのだと思います。
大人から見ると何でもない場所や物でも、子どもの頭の中では大きな世界が広がっていたことは、今でも強く覚えています。
伸びる力の源は、本人の「好き」や興味
英語についてもそうです。私の時代は中学生の頃に学校で英語を習いはじめたのですが、英語だけは学年でトップ5には入っていました。小さい頃から英会話教室に通っていたわけではありません。
むしろ周りには、小学生の頃から英語教室に通っている子もいました。でも当時、その子たちが特別「英語が得意な子」として見られていた印象はなくて。成績やリスニング、スピーキングも、習っていなかった他の子たちと同じくらい。習っていなかった私の方が良かったくらいでした。
もちろん、あくまで私の周りの限られた話です。それでも、「早く始めたかどうか」と「得意になるかどうか」は、必ずしもつながらないのかもしれない——そう感じた経験でした。
ひとつだけ思い当たるのは、物心ついた頃から「英語であそぼ」というNHK教育の番組をかけてもらっていて、好きで見ていたこと。幼少期に英語に触れていたのは、それくらいだったと思います。
中学で英語の授業が始まったとき、脳の片隅に残っていたあの頃の記憶や音の感覚が、「英語を勉強したい」という気持ちにつながったのかもしれません。あるいは、英語は学校の授業としてはみんな一緒にスタートするものだから、「ここなら新しく、人より上手くなれるかも」とチャンスを感じてやる気が出たのかも。それとも、知らない世界を知ること自体が、元々好きだったのかも。
本当のところは、自分でもよくわかりません。ただ確かなのは、誰かにやらされたのではなく、自分自身が興味を持ったことで夢中になり、得意になった、ということです。
どんな環境を用意しても、最後に伸びる力になるのは、本人の興味や「もっと知りたい」という気持ちなのではないか。
おもちゃがなくても、想像力で遊べたこと。習わされたのではなく、好きだから英語が伸びたこと。こんな背景があるから、私はもともと「おもちゃはそんなにいらないだろう」と思う派なのです。
生後9ヶ月の娘は、ずっと日用品に夢中
娘を見ていても、同じことを感じます。
義両親からいただいたおもちゃもあるし、夫が選んだ動く犬のおもちゃもあります。おもちゃが目の前にあれば、もちろん触って遊びますし、その姿は可愛いです。
でも、娘が一番夢中になるのは、リモコンやティッシュ、スマホなどの「大人がよく手にしているもの」。これは生後9ヶ月になった今に始まったことではなく、これまでずっとそうでした。今でこそ夫も「この子は日用品の方が好きだね」と言っています。
例えば、私が使っている目薬や、娘の髪をとかす櫛(アパホテルの部屋に置いてあったものです)。スマホやティッシュと同じように、目の色を変えて握りしめ、しばらく夢中で遊びます。おもちゃを渡した時とは、明らかに目の輝きが違うのです。
この日、娘が夢中になっていたのは、お菓子の袋。10分以上、飽きずに熱中して遊んでいました。

もちろん、口に入れたり怪我をしたりしないかは、そばでちゃんと見ています。その上で、危なくない範囲でやりたいようにさせてあげるのが私の方針です。
赤ちゃんは、親がよく触っているものに興味を持つようです。つまり、赤ちゃんはちゃんと「自分で学ぶ対象」を選べている。専用の道具がなくても、学びはそこら中に転がっているのです。
おもちゃは「大人の楽しみ」の要素も大きいのかも
育児をしていて思うのは、おもちゃ(そしてかわいいベビー服も)は、子どものためというより「大人の満足や楽しみ」という要素の方が大きいのかもしれない、ということです。
これは決して悪い意味ではありません。わが子のためにおもちゃを選ぶ時間は楽しいし、それも子育ての喜びのひとつだと思います。
おもちゃが合う人もいると思います。たとえば、赤ちゃんとの遊びを自分で考えるのが苦手な人にとって、おもちゃは心強い助っ人になってくれるはず。他にも、おもちゃに遊んでもらっている間にママが他のことをしやすくなる、という良さもあるかもしれません。
しかしうちの場合は、私がわりと次々に遊びを思いつくタイプなので、おもちゃに遊びを任せる場面はあまりありません。
それに、いかにも「おもちゃ」というものは、娘は触っていてもすぐに飽きてしまうんです。結局、私がかまっていないとぐずるので、他のことをしたくてもできないことも多かったです。どうしようもない時は、おんぶ紐でおんぶしながら、勉強やブログの執筆を進めたりしていました。
生後9ヶ月の今は、ますます幼児らしくなってきて、ぐずる前にずり這いで近くに寄ってきてくれるようなことも多いです。泣かれることが大幅に減った分、精神的に滅入ることも少なくなった気がします。ただ、せっかく寄ってきてくれたのに私が自分のことを続けていたら、「無視されている」と娘に感じさせてしまいそうで。最近は、娘が起きている間は極力、娘のことをよく見るように更に比重を変えました。自分のことを進めるのは、娘が寝ている時がチャンス。まぁ、このあたりの比重は日によって変わるんですけどね。
それからもうひとつ、正直に言うと「管理」の問題もあります。赤ちゃんはまだ自分で片付けられないので、おもちゃの管理は私の仕事。片付けの手間が煩わしかったり、散らかっている光景を見ていると頭の中までごちゃごちゃしてしまいそうで、正直ちょっと嫌なんです。
まぁ、とっ散らかっているほうが、娘はずり這いであちこち動きながら遊べるので、娘のためを思えば仕方ないのですが。それでも「もう少し種類を絞りたい」というのが本音です。
とはいえ、いただいた知育玩具や自分たちで購入したおもちゃは、大事に使っています。おもちゃを否定したいわけではなく、せっかくあるものはちゃんと活かしたい、という気持ちです。
おもちゃのない時代の人は、頭が良くなかったのか?
考えてみれば、どうでしょうか。私は、そんなことはないと思います。
現代よりずっとずっと便利なものがない時代。遡れば人は、そこにあるものだけで火を起こし、食べものを調理し、暖をとり、住居を建て、服や食器まで作り出してきました。そうやって身の回りにあるものと自分の頭で暮らしを生み出し、積み重ねた知恵の先に、科学もここまで発展してきたのです。
もし専用の道具がないと賢く育たないのなら、人類がここまで発展してくることはなかったはずです。
私が意識している「日常の中の知育」
だから私は、「知育をしない」という考えではありません。むしろ日々の生活の中で、知育は常に意識しています。
私の考える知育とは、おもちゃに補助してもらうものではなく、まず第一の土台として、親との信頼関係と安心感を育てることです。
・子どもの表情を見ること
・たくさん歌ったり話しかけること
・気持ちを言葉にしてあげること
・抱きしめて安心感を作ること
・外に出て、自然や人や新しい景色に触れさせること
・子ども自身が試す時間を、見守ること
お散歩も、視力や脳の発達のために極力連れて行くようにしています(35度前後になるような暑い日は、赤ちゃんの負担を考えて控えています)。
毎日の積み重ねこそ、大切な学びになると思っています。子どもの成長の土台は、特別な道具ではなく、安心できる親子関係や、自分で考えて挑戦する経験の中にあるはずです。
「何を与えたか」より、「どう関わっているか」
おもちゃや物の前に、まず親をはじめ、周りの人との関わりがある。学びの土台はそこにあるのだと、私は思っています。
知育玩具を使う育児も素敵だし、日常の中から学ぶ育児も素敵。どちらが正解という話ではないと思います。
大切なのは「何を与えたか」より、「子どもがどう感じ、どう考え、どう世界と関わっているか」を見ること。私はそう考えて、今日も娘が日用品と格闘するのを、隣で見守っています。
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