芸能人を見たらスマホを向ける人たちについて──思考停止していないか?





彼がテレビを見る人なので私も一緒に見ることが多いのだが、テレビを見ていると色々と疑問が浮かぶことが多いので、これについても書いてみようと思う。

無言でスマホを構える群衆の“異様さ”

例えば、テレビ番組の出川さんのバイク旅。あれを見ていて私は毎回異様な気持ちになる。
それはなぜか。街中で出川さんを見かけた瞬間、人々はスマホを構え、ただ撮影し続けるのだ。
ただ「撮るためにそこにいる」。
その光景が異常に見えるのは、きっと私だけではないはずだ。

だから、スマホを手に持たずに純粋に出川さんたちに笑顔で手を振っている人たちには、好感が持てる。

彼らの「思考が止まっている」

彼らの行動の根本にあるのは、“考えていない”ということ。
「なぜ撮っているのか?」
「その映像は何のために必要なのか?」
の本質を理解していない。



・知り合いに見せるためなのかもしれない。しかし見せられた側は、映像の中という意味で言うと、テレビで見ているのと変わりない。他人の動画や写真に人はたいして興味がない。「すごいねー!」と共感してもらえたところで、ある意味それは建前なのだ。

・芸能人が目の前に現れ、それを思い出に残しておきたいのかもしれない。でも動画や写真を保存したところできっとほとんど見返すことはないはず。「映像に残しておけばひとまずオッケー」みたいな感覚だろう。結局のところ、映像で満足するなら、番組を録画しておけばいいだけの話なのだ。

・「一応撮っておかないと後で後悔しそうだから」と、とりあえず撮る人もいるだろう。気持ちはわかるが、目の前の一瞬の出来事を肉眼で楽しむことに重きを持てるようになった方がいい。それだけでも周りより一歩、上に行ける。写真家ではないのだから。

撮る=体験ではない

・撮ったことで満足
・ストーリーに載せたら終了
・データは見返さない
それでも「出川さんを見た」「体験した」と思い込んでしまう。
でもそれって、“実感のない満足”。
記録して満足、思考を止めて満足、そして頭は「はい、次」と切り替わる。

その背後にある“危うさ”とは?

◾ 常識を疑わない

「みんながやってる=正しい」と思い込む。
周りの行動に合わすだけで、自分の頭で一切考えない。
その姿勢は、日常の小さなことだけでなく、大きな情報操作にも繋がっている。

◾ 自分の頭で考えない

「とりあえず撮っておこう」
「SNSに載せとけば安心」
その一連の行動は、思考じゃなく単なるテンプレの再生。
本人は選択してるつもりでも、実は誰かが決めた“行動のレール”をただ進んでるだけ

◾ ぬるま湯に慣れた感覚のまま

「便利だから」「ラクだから」で思考を止めてきた結果、
疑問を持つ力も、立ち止まって考える力も落ちていく。
そんな人ほど、「ちょっと変だな」に気づけない。

◾ 世間知らずで、視野が狭い

メディアが言うこと、ネットでよく見る意見を「正しい」と思い込み、
他の視点を持とうとしない。
それは、表面的には“情報通”に見えても、本質的には“ただの鵜呑み体質”

◾ 騙されやすい人の典型

思考停止がクセになっている人ほど、
誰かに「これは正解です」と言われたときに疑えない。
それは、自分の中に確かな軸がないから。
流される人生しか選べなくなってしまう

■ そんな人たちに問いたい

芸能人を見て無意識にスマホを向ける――その行為は“思考停止”の証拠。
「記録しておけば安心」
「みんなやってるから自分も」

問いかけは、常に自分に向けるべきだ。
彼らは今、なぜそれをしているのか。
そこがわかっていないと、流されずに生きられるはずがない。

そして――

悲しいことに、これが“群衆”なのだ。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA