(今回は、用もないのに見てきた男の子とのエピソードを、短い物語風で書いてみました。)
今から約3年ほど前となる。
とある昼間、コンビニを出て自転車の鍵を開けていたときのこと。
なんとなく、視界の端に気配を感じた。
2メートル向こうにいた、たぶん中学生か高校生くらいの雰囲気を醸し出している男子2人組。そのうちの1人が、私を見ている気がした。
鍵を開けながらも、顔の角度とか、空気の感じで、ああこれはこっち見てるな、とわかった。
気づかないフリをしようかとも思ったけど、ひしひし伝わってくるその視線に、「いや、これは無視じゃ済まんぞ」と思い直す。
一体いつまで見ているつもりだろう。
子どもだからと贔屓はしない。むしろ、子どもの頃の体験は大切だ。
そしてもう一つ。「自分の勘違いだったらそれはそれでいい、でも確認はしておこう」とも思う。
だから私は、自然に顔だけ上げて、視線だけをバッとそっちに送った。
なぜ“視線だけ”かというと、普通に見ようとすると、相手にもこちらの動きが伝わってしまって、先に目を逸らす余地を与えてしまうから。
逃がさないために。
証拠を掴むために。
バッと見た。
そしたら、案の定。
目が合った。ビシッと。非常に残念だ。これはもう疑いようがない。
男の表情は、一瞬動いた。
私はそのまま目を逸らさない。
男の子も逸らさない。
お互いに目を見つめあったまま、3秒ほどは経っただろうか。
するとその子が一言。
「…なんですか?」
いや、何って、そっちが先に見てたよね?
だから私は淡々と「何?」(訳:そっちが先に見てたよね?なんか用でも?というニュアンス)と返した。
その瞬間、彼の顔に「ハッ」という表情が浮かんだ。
そして、スッと視線を下に向けた。
ああ、自分が先に見てたってことに、今気づいたんだなと思った。
しかも、その状態で「なんですか?」って言ってしまったことのズレにも。
視線を逸らして下を向くのって、心理的に、後ろめたくなったときに出る動き。
勝ち負けで言えば、負けを認めた方が無意識にしてしまう人間の行動なのである。
それ以降、彼は一切こちらを見てこなかった。
隣のもう1人の男子が、彼を何やら励ましてたのも見えた。
まぁ、そういう空気になるよね。仕方ない。
でもね、これでいいんだと思う。
たとえ相手が子供でも、そこは教育と思って対応したい。
「見てたこと」に気づいてほしい。
そして、スマートな大人になってほしい。
見られた側が「見てるよね?」って返すだけで、急に立場が逆転することってある。
それに、私がおとなしく見えたかどうかは知らないけど、まさか言い返してくるとは思ってなかっただろう。
でも人は見かけによらないからさ。
これによってその子には、
・視線に責任を持つこと
・人は見かけによらない
そんな当たり前のことを、学んだはずだ。
…と、ここまで書くと、「そんなに目くじら立てること?」と思う人もいるかもしれない。
けれど、私にも思い出がある。
あれは小学生の頃。
友達とお祭りに行って、屋台の商品をあちこち触っていた。多分、何度も同じ店の前を往復してたと思う。あれは大きなビニールボールだった。私は通るたびに気軽に手を伸ばし、つついていた。
そんなとき、不意に聞こえたチンピラ口調の声。
「〇〇(私の苗字)〜、これ、商品やぞ。」
瞬時にビクっとなった私。
その声の主は、屋台のお兄さんだった。
私服につけてあった名札で、私の名前がわかったのだろう。
怒鳴られたわけではないけれど、名前を呼ばれて叱られたその瞬間、子ども心にものすごく怖くて、そして恥ずかしかった。
でも今思えば当然だ。大人になった今ならわかる。
私のしていたことは、店側からすればとても不快だったろう。しかも何度も繰り返していたならなおさらだ。
その人は、きっと初めは我慢していて、タイミングを見てようやく言葉にしてくれたのだと思う。
それ以来、私は人様のものを勝手に触らないよう、気をつけるようになった。
一度、きちんと向き合ってくれた大人がいたから。
あのときの私は、ちゃんと“受け止めてもらった”のだ。
誰かの行動に対して「何してるの?」と返すとき、それは攻撃ではなく、“気づかせ”でもある。
昔の私のように、きっとあの男の子も、あの一言で何かを覚えるだろう。
そう思って、私は何もなかったかのようにその場を去った。