前から思っていることがあります。
妊娠することって、本来とても素晴らしいことのはず。
なのに、現代では「妊娠してしまった」という言い方が普通に使われている。
この“してしまった”という言葉が、無意識のうちに「妊娠=悪いこと」「予期せぬトラブル」みたいな印象を人々に刷り込んでいないだろうか?
生物は子孫を残すことが本能であり、生きる目的のひとつ。
人間だって例外じゃない。ただ現代人は選択肢が増えただけ。
選べるようになったことで、「選んでない妊娠は悪」みたいな風潮まで生まれている気がする。
予期せぬ妊娠は”失敗”なのか?
私は、そこに強く違和感を覚えます。
今、私は妊娠中。
自分のお腹の中にもうひとつの命が宿っているという感覚は、ただただ不思議で、そして愛おしい。
どこへ行くにも一緒。
「私のところに宿ってくれてありがとう」、そんな気持ちになる。
この命には何の責任もない。ただそこ静かに存在してくれている。
親の責任だって、後からついてくるものだ。
育てる前から「お金がないから無理」「ちゃんと準備できてないからダメ」なんて決めつけるのはおかしい。
“その時”が来れば、人は何とかできるものだやれるものだ。本気になれば、育てられる。
要するに、自分がまだ遊びたい、贅沢したい、今の生活水準を下げたくない、稼ぎまくりたい、立場を守りたい、などのいわゆる”わがまま”なのです。
それがダメとは言っていません。
子どもを持つことの優先順位が低いだけのことを、言い訳にして正当化しているのが、いけないのです。
自分が何をしているのかを、本質を、理解してから主張してほしい。
「お金がないなら子どもを産んじゃいけない」なんて、誰が決めたのだろう?
お金はもちろん大切だし、子育てにはお金もかかる。
しかし、命はそれ以上に大切だ。なぜなら、お金では買えないからだ。
「お金がないなら子どもを産むべきじゃない」という論調があるけれど、それは本当に正しいのか?
命の価値を、お金で測っていいのか?
私はそうは思わない。
命が宿ることは、計算や損得勘定で判断すべきことではない。
そして今の時代、SNSでは様々な意見が“それっぽく”流れてくる。
「妊娠は計画的に」「経済力がないなら親になる資格はない」といった、合理的でスマートに聞こえる意見に、多くの人が賛同する。
だけど、それは本当に自分の考えだろうか?
人気のあるインフルエンサーの言葉だから、賛成したくなっていないか?
それ、ただ乗っかってるだけじゃないのか?
本質を見ずに“かっこいい価値観”を真似るのは、ある意味で思考停止。
人の命に関することを、流行の延長で語ってはいけない。
発信者には、何か計算された意図だってあるかもしれない。
だからどんな意見にも流されず、まずは自分の頭で考えるべき。
誰かの価値観ではなく、自分の価値観で命を受け止めるべきだと思う。
妊娠は、決して“してしまった”なんて扱いをされるものじゃない。
それは、生き物として最も自然で、最も尊く、最もありがたいことだ。
私たちはもっと堂々と、命を迎えることを語っていい。
妊娠は恥じゃない。
思考を止めることこそが、私たちにとっての一番の損失なのだ。
妊娠することは、決して「してしまった」なんて言葉で扱われるようなことじゃない。
それは、生き物としてまっとうな営みであり、奇跡であり、愛おしいことなのだ。
命が宿ることは素晴らしい。
それはどんな言葉にも代えがたい「本物の価値」なのです。
そして、変なことをする人は、大体このことを理解できていないからなんだと思います。