【暴露】ふわふわおにぎりの裏側に気づいてますか?それ、本当に”美味しさ”のため?






最近、どこもかしこも「ふわふわおにぎり」だらけ。

「空気を含ませた絶妙な握り」「まるで炊きたてのような食感」なんて、魅力的な言葉がズラリ。

でも、あなたはその“ふわふわ”の正体に気づいていますか?

私はこう思いました。
「これ、お米の量を減らして原価を下げるためじゃないの?」

なぜか絶賛される「ふわふわ」・・・

本当にそれが”進化”なのか?

確かに、ふんわり握られたおにぎりは見た目が大きくて、食感もやさしい。

でもそれって、お米の量が少ないから“軽い”だけじゃない?

企業からすれば、米の価格が上がる中で「いかにコストを下げるか」は死活問題。

ふわっと握れば見た目はキープできるし、「高級感」や「専門店風の味」ってイメージまでつけられる。

つまり――

少ない材料で高く売るための戦略、それが“ふわふわおにぎり”の正体では?

私がこの話をしたら、
パートナーに・・・

ふとこの疑問をパートナーに話したら、「考えすぎだよ」みたいな空気を出されました。

でも、私はどうしても引っかかるんです。

なぜ多くの人は、「ふわふわ=美味しそう」というイメージをそのまま受け入れてしまうのか。

なぜその裏にある意図を、ちょっとでも疑ってみることすらしないのか。

“おにぎりの進化”と見せかけて、“削減されたごはん”だったとしたら?

そう考えたらもう、私は見過ごせなくなってしまいました。

私が愛してやまないのは、”硬くて冷たい、しっかり握ったおにぎり”です

子どもの頃、遠足に持っていったあのおにぎり。

母が朝早く起きて、ぎゅっと握ってくれた、あの冷たくて硬いやつ。

時間が経っても、崩れない。

どこでも食べやすい。

手で持った時の安心感。

あれこそが、“本当のおにぎり”だと思うんです。
(コンビニのおにぎりも好き。)

観光地で出会った「ふわふわおにぎり」の悲しい現実





旅行中、とある有名な米どころの観光名所で、お土産屋さんが出していた“ご当地おにぎり”を買ってみたんです。

「お米が美味しい」と評判だったし、見た目も大きくてふっくらしてたから、ちょっとワクワクして食べ始めたんですが…。

一口食べるたびに、ボロボロと米が崩れて落ちていく

中の具にたどり着く前に、手はお米だらけでべとべと。

お皿と箸を借りたいと思ったくらいです。

そのときふと思ったんです。

「え、これ、ちゃんと握ったらたぶん半分以下のサイズじゃない?!

しかも、手軽に食べられるっていうおにぎりの良さ、どこ行ったの?」

見た目はふわっと大きくて豪華そう。

でも、内容はスカスカ。

価格と中身が釣り合っていない、がっかり感。

それなら最初からパックご飯を箸で食べた方が、まだマシだったかもしれません。

おにぎりは、ただの流行に踊らされる食べ物じゃない

もちろん、「ふわふわが好き」という人を否定したいわけじゃない。

でも、「ふわふわ=進化」「硬い=時代遅れ」っていう風潮には、はっきり言いたい。

それ、本当に“あなたの好み”ですか?

それとも、企業のマーケティングに“刷り込まれた好み”じゃないですか?

終わりに:私はこれからも、
冷たくて硬いおにぎりを愛します


おにぎりって、本来は“にぎる”もの。

しっかりと、ごはんを詰めて、形にして、人の手で包み込むもの。

ふわふわであることがすべてじゃない。

どんなブームが来ても、
私は“本来のおにぎり”の美しさを忘れたくない。

この記事が、同じような違和感を抱いていた誰かの背中をそっと押せたら嬉しいです。



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